顔面神経の麻痺によって障害側の顔面表情筋のコントロールができなくなった状態です。
顔面神経は脳の顔面神経核から出て、顔面を動かす表情筋につながっていますが、この経路のどこかが障害されると、表情筋を動かす信号が入ってこなくなるために、表情筋が動かなくなり、その結果として顔面が動かなくなります。
顔面神経麻痺の原因としては、ハント症候群、脳腫瘍、脳卒中、ライム病などがありますが、原因が特定できない場合にベル麻痺と呼ばれます。
急性顔面神経麻痺の最も一般的な原因です。
ベル麻痺は『特発性片側性末梢性顔面神経麻痺』と定義されます。
スコットランドの解剖学者チャールズ・ベルにちなんで命名されました。
顔面神経の膝神経節にある知覚神経細胞に潜伏感染した、水痘・帯状疱疹ウイルスの再活性化によるもので、神経麻痺を起こすメカニズムはベル麻痺と同様です。
アメリカ合衆国の神経科医ジェイムス・ラムゼイ・ハントが自験例をまとめて報告したのにちなみ命名されています。
従って、ラムゼイ・ハント症候群の名称も使われますが、ハント症候群と同意です。
日本での顔面神経麻痺の患者数は年間、約65,000人で、そのうちベル麻痺は約40,000人で圧倒的多数を占め、次に多い、ハント症候群は約10,000人と言われています。
ベル麻痺は50歳代をピークとした1峰性の分布を示し、ハント症候群は20代と50代に2峰性のピークを示します。
ベル麻痺は季節性を示しませんが、ハント症候群は3-4月と6-7月に多く、5月と8月に少ないとされています。
両者とも明らかな性差は有りません。
ベル麻痺は家族内遺伝が全体の10%前後見られ、妊婦は非妊娠女性に比べ3倍多く、糖尿病患者では4倍発症し易いといわれています。
ベル麻痺とハント症候群に含まれる無疱疹帯状疱疹による顔面神経麻痺の鑑別は極めて難しいとされています。
ギランバレー症候群、ライム病、サルコイドーシスなどがあります。
顔面の表情筋は20個以上あり、麻痺の程度と範囲で様々な症状が有ります。
一般的に最も多い訴えは『障害された側の顔面の垂れ下がり』です。
他によく訴えられる症状は、①顔が曲がった状態 ②眼が閉じにくい ③口角が上がらない ④水や食べ物が口から漏れるなどです。
顔面神経は、まばたき、閉眼、微笑み、眉ひそめなど顔面の表情をあらわす筋の動きや、涙液分泌、唾液分泌、さらには、舌の前3分の2の味覚伝達の機能をつかさどっており、顔面神経麻痺は、それらの機能が円滑に行われなくなる事を意味します。
ただし、前頭部の筋は両側の大脳に支配されているので、患者が額のしわ寄せができる場合、麻痺の原因は脳内に有り、中枢性顔面神経麻痺を疑います。
顔面神経が通る側頭骨内の顔面神経管には、顔面神経の他に、味覚を伝える鼓索神経、涙や唾液の分泌を調節する神経、大きな音から耳を守るため鼓膜を緊張させる反射を起こす神経であるアブミ骨筋神経などが含まれていますので、顔面神経麻痺の際には顔面表情筋の麻痺ばかりではなく、味覚障害、涙や唾液の分泌低下、音が響く聴覚の障害などさまざまな症状が伴います。
不全麻痺あるいは完全麻痺が、急速に、通常は1日以内に完成するのが特徴です。
ベル麻痺では単神経炎という定義にもかかわらず、顔面神経機能不全だけでは説明のつかない多彩な神経学的症状を呈し、これらの原因は完全には解明されていません。
よくある症状としては、顔面の異常知覚、頭痛、頚部痛、記憶障害、平衡障害、同側の上下肢の異常知覚、同側の上下肢の筋力低下、動作のぎこちなさ等です。
主徴候は以下の3つですが、いずれか1つの症状を欠く不全型ハント症候群もあります。
3主徴全ての発現には数日から1~2週間のタイムラグがあります。
第8脳神経症状の難聴、耳鳴、めまいなどの出現率は、非常に高率です。
めまいの性状は、回転性めまいが多く、徐々に軽快することが多いとされます。
難聴は感音性難聴で1側性です。
顔面神経麻痺は完全麻痺の比率がベル麻痺より高い傾向です。
神経変性による麻痺は発症後も進行を続け、7~10日で完成します。
上の3主徴を呈する完全型は全体の約60%で、残りは帯状疱疹や、第8脳神経症状を欠く不全型です。
不全型ハント症候群は、臨床的にはベル麻痺と診断されることが多く、このような症例はベル麻痺の8~25%に存在すると言われています。
野鼠や小鳥などを保菌動物とし、野生のマダニによって病原体ボラリアが細菌感染し発症します。
初期には紅斑やインフルエンザ様症状がみられますが、4週間後以降の播種期には神経症状として、脊髄炎や顔面神経麻痺を発症することがあります。
ライム病の流行地域では、顔面神経麻痺の最も一般的な原因となっています。
急速に進行する炎症性多発性神経障害で自己免疫性疾患と考えられており、自然治癒します。
弛緩性の筋力低下が認められますが、重症患者の半数超では顔面神経麻痺が発生します。
ほとんどの患者は数か月間で大きく改善しますが、約30%の割合で3年後もいくらかの筋力低下が残存します。
側頭骨横骨折の50%、縦骨折の15%に発生します。しかし全発症数では、縦骨折によるものが多く見られます。骨折線を認めない例も少なくありません。
顔面神経の牽引、挫滅、切断が見られます。
急性中耳炎性麻痺は、幼小児に多く見られます。真珠腫性中耳炎性麻痺は、成人に多く、早期手術が絶対適応となります。また、結核性中耳炎では麻痺が高率に合併することが知られています。
顔面神経鞘腫が多く見られますが、その他、神経線維種、聴神経腫瘍、耳下腺腫瘍、グロームス腫瘍、髄膜種などがあります。
① 急に麻痺が生じた場合
ウイルス性の顔面神経麻痺が先ず考えられます。
「ベル麻痺」「ハント症候群」があり、片側に麻痺が出現します。
ギランバレー症候群や、マダニが媒介するライム病でも比較的急速な顔面神経麻痺が見られますが、両側性に麻痺が出現します。
脳卒中でも急速な顔面神経麻痺が生じますが、多くは同時に、ろれつが回らなくなったり、頭痛、意識障害、手足の麻痺やしびれを訴えます。
② ゆっくりと麻痺が生じる場合
特殊な神経や血管の病気によって顔面神経に障害が発生することもあります。
聴力の低下もみられる場合には聴神経腫瘍や顔面神経鞘腫の可能性があります。
悪性疾患では耳下腺癌もあります。
原因不明の全身性肉芽腫性疾患であるサルコイドーシスでも発生し両側性です。
③ 外科手術やケガの後に麻痺が生じた場合
脳腫瘍の摘出手術、真珠種摘出のための耳鼻咽喉科の手術、耳下腺の手術などに伴い顔面神経が損傷された場合に麻痺が生じます。
また、側頭骨骨折や、顔面の深い傷によって顔面神経が損傷された場合にも麻痺が生じます。
④ 生まれつき麻痺が認められる場合
小耳症やメビウス症候群で顔面神経麻痺を見ることがありますが、生来の原因として100以上の原因疾患が特定されています。
顔面神経が炎症によって腫脹した状態にあると考えられています。
顔面神経は頭蓋骨(側頭骨)の細い管(顔面神経管)の中を走行しており、この管の中で腫脹すると神経が圧迫され、神経伝達の阻害や損傷、細胞死が起こるとされます。ベル麻痺の原因は確定されていませんが、1型単純ヘルペスウイルス感染の関与が示唆されています。
除外診断なので、他の考えうる疾患を除外することで行います。
抗炎症薬や抗ウイルス薬を処方します。
薬物治療が奏功するには早期治療が必要です。
しかし治療効果については議論が分かれるところです。
なぜなら、ほとんどの患者は自然に治癒し、ほぼ完全に機能も回復し、多くの場合、治療しなくとも、発症後10日もすれば改善の徴候が見られるからです。
障害側の閉眼ができなくなる事も多いため、眼の乾燥を防ぐ必要はあります。
これを怠ると、兎眼による角膜上皮障害によって視力障害をきたすことがあります。
一般に、不全麻痺の患者では予後は極めて良いので治療の必要はないといわれます。
しかし、閉眼できない、口を閉じられないといった完全麻痺の場合は、一般にステロイド系抗炎症薬を投与します。
プレドニゾロン投与は、アシクロビル投与や無治療に比べ、完全回復の可能性が高まるとされています。
大規模研究の結果ではプレドニゾロン単独に比べ、アシクロビルを加えることに利益は無いとされています。
アメリカ神経内科学会では発症から3日以内の早期治療が必要で、発症後10日以上たっている場合は治療は不要とされています。
アメリカ耳鼻咽喉・頭頸部外科学会が2013年に発効したガイドラインでは16歳以上の患者に対して、発症72時間以内の内服ステロイド:プレドニゾロン50~60mg/日を投与することを推奨しています。また発症後10日以上経過している場合の有用性は無いとしています。
漢方系治療としては、ベル麻痺が風邪に由来するとして、葛根湯や麻黄湯が推奨されています。
鍼治療が行われることもあります。
閉眼困難な場合は、睡眠時や休息時に眼帯をしたりテープで眼を閉じ、人口涙液の点眼薬や、眼軟膏を使用することが推奨されます。閉眼が完全にできない場合、反射も低下するため、眼の外傷には充分気を付ける必要が有ります。
ステロイドと抗ウイルス薬の投与が基本です。
ステロイドとしてプレドニゾロンを初期投与量60㎎/日で開始し、漸減します。
また、抗ウイルス薬として、アシクロビルあるいはバラシクロビルを帯状疱疹に準じた量で投与します。
予後不良と推定される場合は、手術やリハビリを行います。
治療開始日と完全治癒率の関係は、発症から3日以内が70%、4~6日が50%、7日以降は33%となっており、治療開始が遅れるほど完全治癒率が低下することが示されています。
早期に適切な表情筋のリハビリテーションを行うことで後遺症を軽減できることが分かっています。
不全麻痺や異常共同運動が残ってしまった場合には、発症後6か月以内に形成外科を受診して、舌下神経や咬筋神経を顔面神経につなげる手術により表情筋の動きを取り戻すことが可能になる場合もあります。
異常共同運動とは、回復した後に、眼と口が一緒に動いてしまうことです。
口をすぼめると眼が閉じてしまう特徴があります。
ひどい場合はボツリヌス毒を用いたボトックス注射をします。
異常共同運動に対しては、筋肉切除手術やボトックス注射などを用いた治療とリハビリテーションを組み合わせることにより改善が見られる場合もあります。
脳卒中による顔面神経麻痺では、顔の左右のバランスを整える顔面神経麻痺痺静的再建術により、眉毛位置を合わせ、口角を挙上させることもあります。
顔面外傷により顔面神経麻痺が生じた場合は、損傷した顔面神経を再建します。
脳神経外科的もしくは耳鼻咽喉科的疾患で麻痺の後遺症が残ってしまった場合はできるだけ早期に形成外科を受診し、顔の左右バランスを整える静的再建術を行ないます。
閉眼障害などに対しては、動的再建術が行われます。
顔面神経麻痺になると、顔面表情筋は動かないので、やせてしまい筋委縮を起こします。
筋委縮状態では神経が回復しても動きが回復しません。
萎縮を防ぐためには、日頃から筋肉の血流が良くなるように、温めたタオルを麻痺部分にあてたり、マッサージをしてやることが効果的です。
高度の麻痺が有る患者さんが、過度に顔面全体を同時にマッサージし過ぎると病的共同運動が悪化することが有るので注意が必要です。
ベル麻痺は、何の治療を行わない場合でも、良好な予後が得られやすい疾患です。
85%の患者で発症後3週間以内に回復の兆候が見られます。
最終的に完全回復するのは約70%で、12%は中等度の回復、4%はごくわずかな回復しか得られないことが報告されています。
別の研究では、不全麻痺の場合はほぼ全ての患者が麻痺が完全に消失したものの、完全麻痺では、最初の2週間以内に改善が見られた患者ではほぼ前例が完全に麻痺が消失し、改善が3週間以降にみられたか、その時点で改善が無かった患者は、多くの患者に後遺症が残ると報告されています。
また、もう一つの研究では、10歳以下の患者は予後が良く、65歳以上の患者では相対的に予後が悪いとされています。
ハント症候群はベル麻痺と比べて予後不良で、無治療での自然治癒率は30%に過ぎません(ベル麻痺は70%)。
初期から十分に治療を行っても、完治率は60%程度に(ベル麻痺は90%)留まります。
めまいは他の疾患では内耳に障害が起きても反対側の前庭による前庭代償が起こるため2~3ヶ月でめまいは治まりますが、ハント症候群では前庭代償が起こりにくく、何年もめまいが持続することが有ります。
主な合併症は以下の3つです。
その他の合併症として、顔面神経の不完全再生あるいは、誤再生により、意図とは異なる筋肉が一緒に動いてしまうことが有ります。
例えば、眼を閉じると、口角が付随意的に上がってしまうことが起こりえます。
また、他にも、食事の際に涙が流れてしまう、ワニの涙症候群があり、これは顔面神経の唾液腺と涙腺を支配する神経の誤再生の結果と考えられています。